最高裁判所第三小法廷 昭和24年(れ)3122号 判決 1950年7月11日
主文
本件上告を棄却する。
理由
検事の上告趣意は末尾添附の上告趣意書記載のとおりである。
検事の上告趣意第一点について。
(一) 所論は先ず、原審は、中丸新太の「若しこの要求が容れられないときは全員総辞職する」旨の発言内容も最も重要な証拠とし、これを実験則に違反して解釈したため、不当な結論に達した違法があると主張する。
しかし原判決が無罪の理由として説示しているところを仔細に検討するに、原審は、主として所論の如き中丸の発言に基いて結論しているわけではない。むしろ、中丸が全員辞職する旨発言したのは、賃上要求に圧力を加える偽装で、決して、従業員の真意ではなかったと認めているのである。そして原審は、このような発言があった場合には、辞職ということは從業員にとって重大な利害関係のあることであるから、軽々しくなすべき筈のものでなく、又往々右の如く偽装として発言する事例もあるのであるから、被告人としては直接従業員各個についてその真意を確めてみることが望ましい用意であるのに、被告人がこれをしなかったのは不用意であった。しかし不用意ではあったが当時の中丸の強硬な全員辞職の主張、被告人のその後に採った行動、被告人の性格などからみて、被告人は中丸の全員辞職する旨の発言を言葉どおりに受取り、これを真意と誤信したのではないかと思はれる節もあるので、結局起訴状にいうが如く、中丸の右の如き発言が真意でないことを諒知しながら、その発言のあったことを奇貨として従業員を解雇したのであるとの点については説明不十分であると判断しているのである。右の如き原判決の示す理由は十分納得のいくことであって、別に実験則に違反する点はない。
(二) 所論は次に、原判決が一方において六月七日前記中丸が全従業員を代表して被告人に対し全員辞職の申出をしたとしながら、他方においてその前日六月六日の労働組合が結成されたという事実は認められないとしているがこれは相互に矛盾する結論で到底是認するを得ないと主張する。しかし、原判決が中丸は全従業員の依頼を受けて、賃金値上等の要求事項につき被告人と交渉するに際し、被告人に対し右要求が容れられない場合は全員辞職すると発言したのを、被告人が言葉どおりに受取り、右の中丸の代表発言により真実全員辞職の申出をしたものと誤信したのではないかと思はれる節があると判断しているが、その判断は当然に、その前提として、交渉前に既に労働組合が結成されていることを是認するものと解さねばならない理由はない。中丸に全員辞職申出の代表権限ありとすることゝその申出前に労働組合が結成されていないと認めることゝは、相互に矛盾する結論ではない、何となれば組合は結成されていなくとも、全従業員が事実上代表者を択んで使用者と交渉し、代表者を通じて全員辞職の申出をなすこともあり得ないことではないし、そして、このような場合に、その従業員の集団そのものも、未だ組合とは目し得ない場合もあり得るからである。
これを要するに、原判決の示す右の如き認定にはその間何等の矛盾もなく、その無罪理由の説示には所論の如き不合理な点は認められない。
同第二点について。
しかし、原判決は前記の如く、所論六月六日の労働組合結成の事実は認められないし、中丸の全員辞職する旨の発言も、その真意はともかく、全く事実上全従業員の依頼によりなされた趣旨であると認定していること判文に徴し明白である。そして、論旨第一点(二)において説示したとおり、中丸が従業員代表として活動したと認めること自体、組合の存在を当然の前提としていると論ずることは独断にすぎない。原判決は唯、起訴状にいう組合結成の事実も、被告人の中丸発言の真意認識の点も、総て証明不十分に帰すると判示しているだけであって、無罪理由の判示としてこれを以てこと足りるのである。しかも前記の如く、その無罪理由の説示に不合理な点は認められないし、所論団体代表の権限に関する解釈の当否の問題の如きは、原判決の無罪理由の判示に徴し、これを生ずる余地はないから論旨は理由がない。
同第三点について。
(一) 所論は先ず、原判決は、本件第一公訴事実の範囲内に当然含まれるものとみるべき「労働組合を結成せんとしたるの故を以て」の解雇か否かについての判断を遺脱した違法があると主張する。しかし、原判決の右公訴事実に対する無罪の理由は、六月六日の労働組合結成の事実は認められない、被告人が中丸の全員辞職する旨の発言はその真意でないことを承知の上で従業員を解雇したという点も、認められない。諸般の事情からむしろ、被告人は不用意にもその発言を真意と誤信したのではないかと思はれる節もあり、要するに公訴事実はその証明不十分であるとしているのであって、その説示は首肯し得るものであること前説明のとおりである。従って原判決は右の如き説示により反面において被告人が従業員を退職させたのは、別に従業員等が労働組合を結成せんとしたからではなく、これとは別の理由に基くものである論旨をも表はしていると認められるのである。してみれば所論の事実が仮りに本件起訴の範囲に含まれるとしても、原判決はこの点についても、判断したものと認め得るわけである。従って原判決には所論の如き判断遺脱の違法はない。
(二) 所論は次に、原判決には本件第二公訴事実に対する判断を遺脱した違法があると主張する。
しかし、前記の如き原判決の無罪理由の説示からみて、原審は、被告人は前記の事情から、中丸の全員辞職する旨の発言を、真意と誤信してその申出に応じたのではないかと思はれ、双方の真意の合致した合意の退職と迄はいえないとしても、起訴状にいうが如き一方的な解雇があったと認めるには説明が十分でないと判断したものである。そして証明不十分による無罪理由の説示としては原判決に示す程度でこと足りるのである。してみれば、原判決には所論の如き判断遺脱の違法ありということはできない。
(三) 所論は最後に、原判決は本件公訴事実の中心である解雇か否かについての実質的な判断を遺脱した違法があると主張する。
しかし原判決は、結局起訴状にいうが如き解雇の事実を積極的に認むべき証拠は十分でないとしているだけである。証明不十分による無罪理由の説示としてはこれでこと足りるのであって、所論にいうが如く究極において解雇か否かの点について迄判断を示す必要はない。原判決が証明不十分の理由として説示するところによると、被告人のその後に採った行動や被告人の性格をも参酌したとあるから、原審は所論のいうところと異なり、前後の事情を十分考慮して結論を下したことは明瞭である。
これを要するに原判決は、起訴状にいうが如き解雇の説明が十分でないとして無罪の言渡しをしたのであるから、それ以上本件の場合は解雇でなく單なる辞職申出の承諾なのかどうかなどの点について迄判断を示す必要はない。従って、原判決には所論の如き判断遺脱の違法もない。
よって、旧刑訴法第四四六条により本件上告を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。
右は裁判官全員一致の意見である。
(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)